交通社会に於いて、または日々の生活・業務に於いて、 自分の思い通りに事が進まなかったり、他者に嫌な反応・行動をされた時、 苛立ちを覚える自分を腹立たしく思います。 これは未熟さ故の恥ずかしい心の動きです。 人はそれぞれの思惑・考え方で行動するのですから、 すべてが自分の思い描いた通りにならないのは当然です。 冷静に考えれば分かっていることなのですが、 生活や業務の流れの中、やはり未熟な自分を再認識してしまいます。
「我いまだ木鶏たりえず」
これは昭和の大横綱「双葉山」の69連勝で連勝が止まった時の言葉という事ですが、 以下の様な故事に由来しています。
昔の中国のお話。 闘鶏の鶏を育てる名人に、王が預けて10日程経つ鶏の仕上がり具合を尋ねます。 すると名人は 「まだ空威張りして闘争心があるからいけません」と答えました。 また10日程経ち再度尋ねると、 「まだいけません。他の闘鶏の声や姿を見ただけでいきり立ってしまいます」・・ 更に10日経っても「目を怒らせて己の強さを誇示しているから話になりません」と 答えたのです。 そこから更に10日経過して王が下問すると、ようやく 「もう良いでしょう。他の闘鶏が鳴いても、全く相手にしません。 まるで木鶏のように泰然自若としています。その徳の前にかなう闘鶏はいないでしょう」 と答えたそうです。
自分の成長をこの故事になぞらえるのはおこがましい話ではありますが、 この言葉を思い出すと、成熟・成長とはそういうことなのかと恥ずかしくなります。 自分の未熟さが寛容さを妨げており、人を思い遣る余裕の無さが 「未熟」という事なのだなと思います。
業務に於いて・・生活に於いて・・運転に於いて・・ つい感じてしまう腹立ちが「絶対に正しい腹立ち」かどうか自問します。 その腹立ちはどなたかの「仕方のない事情」に思い遣る余裕を持てずの 腹立ちかもしれないと思う様にしなくてはいけないと思います。 腹立ちうを苛立ちとして表面に出し、自分の機嫌で 他者をコントロールしようとするのは幼稚な事と反省します。
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